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先日NHKで放送された「映像の世紀プレミアム(15) 東京 夢と幻想の1964年」が、なかなかに面白かった。話のネタになるかもしれないので、書置きを残しておく。

 

      東京オリンピック開催前の東京は世界有数の汚い街だった。「ゴミを捨てないで下さい」の貼り紙があっても、どこ吹く風。都民は道路上にゴミを山積みにし、河の中にゴミを投げ捨てていた。こんな東京を見せたら世界の笑いものになる。都は、都民の美化意識改善を目指し、婦人会などに「毎月10日はみんなで街中を清掃しましょう」と呼びかけ、少しずつ東京からゴミが消えていった。

こうした美化意識の無さが、後に全国各所で公害問題を引き起こしたのだと思う。日本人は、問題が顕在化しない限り頑張らないが、一度やると決めたら、ひたすら愚直にやり続ける国民性があると思う。本当は、問題が起こる前に手を打ち、状況が変わったら柔軟に対応するべきなのだが、そんな風には出来ていないのだ。

 

      東京の道路は、酷い所だと1時間に2キロしか進まないほどの大渋滞が発生。このまま東京オリンピックを開催すれば、選手やスタッフが競技場に定刻通りに到着できず、大混乱となる。都は、用地買収による時間のロスを少なくするため、海上や河川上に高速道路を建設。これにより水の都と言われた東京の景観は大きく損なわれた。また民家に立ち退きを迫り、地上の車道も幅を約2倍に広げ、交通渋滞の緩和に成功した。

⇒渋滞の様子はバイク天国となっている東南アジア都市部よりも酷い有様に見えた。交通法規はあってないようなものだったと推察される。当然、交通事故も頻発したらしい。都内はオリンピック開催を契機にマシになったと思われるが、全国の道路が整備され、年間の死者が1万人を超える「交通戦争」状態を脱するまで、相当な歳月を要した。

 

      オリンピック関連予算として当時の国家予算の約3分の1が投じられた。まさしく国家の一大プロジェクトであった。特に高速道路と新幹線は、その後の日本経済の発展に大きく寄与した。

⇒今では、オリンピックのコストをできるだけカットし、コンパクト化することが評価されるようになった。また今では東京一極集中が問題視されるようになり、東京の発展のために巨額の国費を投じることが難しくなった。昔を知ると隔世の感がある。前回開催から半世紀以上経過しているのだから、これを東京大改造のチャンスと捉え、思い切った公共投資に踏み切るべきだったのではないかと、今更ながら思う。

 

      日雇い建設労働者の日給は1500円程度。劣悪環境下での低賃金長時間労働。そんな貧困層に人気だった副業が売血だった。朝、血液銀行に並んで、血を抜くだけで3000円が貰える。生活費を稼ぐために肝機能障害者も売血に走り、輸血後に2割が肝炎を発症するほど低品質な血液が流通していたが、長らく甘受されていた。そんな中、駐日米国大使が刺される事件が発生。手術を受けた際の輸血で肝炎を発症したため、国際的批判を集め、売血から献血へと、舵を切ることとなった。

⇒自分が助かるためなら、他人がどうなろうと知ったことではない。日本人、とりわけ貧困層のモラルなんて、こんなものだ。外交問題という外圧がかかって、初めて解決に動き出すという腰の重さは、今の日本にも通ずるものがある。

 

      全国の新聞社や出版社は有名作家に観戦記の執筆を依頼。筆のオリンピックとも言われた。

⇒この観戦記は、「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」に編纂されており、今でも購入することができる。ビジネス雑誌「プレジデント」の連載で、齋藤孝教授が、特に三島由紀夫の観戦記を絶賛していた。今回の東京オリンピックでも同様の取り組みをしていれば、文字だけに文字通り、後世に残るオリンピックになっただろう。

 

      オリンピック開催前に都民にアンケートを実施。「最近の最大の関心事は?」という設問に「東京オリンピック」と答えた人は僅か2%。約6割の都民が、「東京オリンピック以外にやるべきことがある」と回答した。当時の東京は、ダムがほぼ枯渇し、自衛隊が近隣から集めた水の配給に駆り出されるほど、水不足に悩まされていた。治水事業の前倒しと大雨の到来により危機を脱し、ようやく都民はオリンピック開催を前向きに受け入れる余裕ができた。

⇒歴史は繰り返す。今、同じ質問をしたら、都民の大半が「最優先にやるべきことはコロナ対策」と答えるだろう。今回は、ワクチン接種が思うように進まず、また感染者が増加傾向に転じたことから、開催までにオリンピック否定派を沈黙させることはできなかった。東京の感染者数増大傾向は、オリンピック選手団の入国よりもずっと前から始まり、厳しい移動制限もある。普通に考えれば、オリンピック開催と東京の感染者数増大は無関係だと分かる。そしてオリンピックを中止したからといって、コロナ対策が今より進展する根拠など、どこにもない。世界が注目するスポーツの祭典に、敵意を向ける人達の言葉は、傾聴に値しないと僕は思う。

 

      聖火リレーは、日本が戦争を起こした地域がルートに組み込まれた。日本が、かつての戦争を悔悟していること、今は平和国家に生まれ変わったことを、国際社会にアピールする狙いがあった。また最後の走者は広島原爆投下の日に生まれた青年に託された。アメリカへの忖度から反対する声もあったが、「我々が憎むのは原爆を投下した米国ではなく原爆そのものである」との想いから、決行に至った。

IOC会長の広島訪問、IOC副会長の長崎訪問は、オリンピックに相応しいイベントだったと僕は評価しているが、これに抗議する人達もいるらしい。「我々が憎むのはコロナウイルスではなくオリンピックである」とでも言いたいのだろうか。人間はすぐに過去を忘れる愚か者だから、非戦・反戦の誓いは定期的に発信することが望ましいと僕は思う。

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