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本書は週刊ダイヤモンドの有識者投票で2017年のNo.1経済書に選出されている。多数の具体例を挙げながら、「相関関係がある」を「因果関係がある」と混同し、根拠の無い通説を信じてしまわないように警鐘を鳴らしている。データ解析で強い相関関係が認められても、そのメカニズムを説明できなければ、因果関係があるとは言えないのだ。業務上、データ解析を行う機会に恵まれているため、本書の骨子には共感できる部分が多かった。

 

本書で取り上げられていた論証の中で、特に興味深く思ったものを、個人的見解も踏まえて、御紹介する。

 

    海外では定期健診が長生きにつながるという強いエビデンスが見られなかったにもかかわらず、日本は2008年から特定健康診査・特定保健指導を全国展開した。

 

一企業レベルならば、「やってみなはれ精神」で猛進し、結果的に失敗に終わっても、さほど問題視されないかもしれないが、国策レベルともなると膨大な税金が使われてしまうため、海外の先行事例を参照する、特区を設けて対策の有効性を確認する等、導入には慎重な判断が必要だ。

ビジネスパーソン向けの品質管理セミナーで、「日本で統計学を学ぶのは一部の理系学生だけだが、欧米諸国やアジアの新興国は文系学生も統計学を必修する」「つまり、統計学に限れば、日本の教育レベルは、欧米諸国どころかアジアの新興国にすら劣る」「外国人は暗黙知を良しとせず、真理を探究して、形式知化しようとする気概に満ちている」「日本人は結果が良ければ理由が分からなくても良しとする」というお話を伺い、衝撃を受けたことを思い出した。近年、統計学にまつわる書籍が多数発刊され注目を集めているが、そのような書籍が売れてしまうことが、日本の現状のヤバさを示しているように感じる。

 

    医療費の自己負担割合が大きくなれば、人々は病院を受診したり入院したりする回数を減らすため、国全体で支払う医療費は減少する。しかも、医療費の自己負担割合と人々の健康状態の間には因果関係が見られない。ただし、低所得かつ健康状態が悪い人々に限ると、自己負担割合の増加は健康状態を悪化させることが分かっている。

    高齢者に対する医療費の自己負担割合を引き下げると、病院に行く回数が増えるものの、それによって死亡率や健康状態に影響が出ることはない。

 

国民皆保険制度、特に高額療養費制度は、今後も維持すべきだと思うが、現行の年間所得に基づき自己負担上限額を決める方式は、現役世代の負担が大きくなりがちなので、僕は個人金融資産に基づき自己負担上限額を決める方式に変更した方がいいと思っている。

 

    男性内科医よりも女性内科医が担当した患者の方が、30日以内死亡率が低い。

 

これは女性医師の方が総じて質の良い診療を行っていることを意味しているが、男性医師の名医が少ないとは言っていない。出産や子育てによるキャリアの中断がほぼ無く、昇進や活躍の機会に恵まれている男性医師の方が、名医の数は多いと僕は思う。ただ、女性医師の方が名医の確率が高いということなので、男性医師と女性医師の診療方針の相違点を仔細にフィードバックし、医療の質の底上げに役立てる試みは必要だと思う。

 

    出生時の体重が重いほど、その後の成績・学歴・収入・健康状態は良好になる。

 

そもそも「小さく産んで大きく育てよ」という風説があることを、本書を読むまで知らなかった。本書では、日本の低出生体重児の割合が欧米諸国と比べて高い理由として、上記通説の存在を挙げているが、僕は高年齢出産率の高まりが背景にあると考えている。実際、厚生労働省の人口動態統計によると、35歳以上の出産割合は、高度経済成長期に当たる1975年だと約4%にとどまるが、2018年には約29%にまで増大している。また厚生労働省の別の資料では、母親の年齢階級を横軸に、低出生体重児の割合を縦軸にして折れ線グラフを描くとU字カーブを示し、低年齢出産と高年齢出産は低出生体重児の出産リスクを高めると報告している。

 

    受動喫煙防止規制を厳しくしても、レストランやバーの売上に、統計的に有意な差は無い。

 

飲食業界の方々が、「禁煙又は分煙を徹底すると飲食店の売上が落ちる」と持論を述べ、愛煙家の方々もそれに便乗している話を耳にするが、常識的に考えると、この発想は無理がある。レストランを訪れる主目的は美味い料理を食べるためだ。バーを訪れる主目的は美味い酒を飲むためだ。それは嫌煙家だろうが愛煙家だろうが変わらない。タバコが吸えるか吸えないかは、お店選びで重視されるポイントではない。中には全席禁煙を理由にお店をスクリーニングする愛煙家もいるかもしれないが、それなら逆に全席喫煙可を理由にお店をスクリーニングする嫌煙家もいるだろう。人口比率では非喫煙者の方が多いことを考えると、嫌煙家に配慮したお店作りに徹した方が、むしろ売上は伸びる可能性があると思う。時代の変化を拒み、現状維持に固執し、新たなビジネスチャンスに目を背けるのは、勿体ないことだ。

余談だが、「統計的に有意な差は無い」は「変わらない」に言い換えられない点に注意する必要がある。上記の事例では、帰無仮説を「受動喫煙防止規制を厳しくしても、レストランやバーの売上は変わらない」とし、対立仮説を「受動喫煙防止規制を厳しくすると、レストランやバーの売上は落ちる」としたうえで、検定を実施している。統計的に有意であれば、帰無仮説が棄却され、対立仮説が成立すると言える。しかし統計的に有意ではないと、帰無仮説を棄却できないため、対立仮説が成立するとは言えず、すなわち「受動喫煙防止規制を厳しくしても、レストランやバーの売上は落ちるとは言えない」という結論になる。「落ちるとは言えない」と「変わらない」はイコールではない。「変わらない」ことを統計的に判断するためには、対立仮説を「受動喫煙防止規制を厳しくすると、レストランやバーの売上は変わる(落ちるか、伸びる)」として、検定を行わなければならない。これが統計的に有意ではないと、「売り上げは変わるとは言えない」という結論になる。更に、対立仮説を「受動喫煙防止規制を厳しくすると、レストランやバーの売上は伸びる」に変えて検定し、これも統計的に有意とは言えなかった場合、「売上は落ちるとは言えないし、変わらないとも言えないし、伸びるとも言えない」という結論になる。これら3つの検定結果から分かることは、「受動喫煙防止規制とレストランやバーの売上の間に因果関係があるとは言えない」であり、「因果関係が無い」と断言することはできない。一連の考え方は統計学の基礎となる。統計学をビジネスなどで実用したいと考えている方々は、是非覚えておいて欲しい。

 

    保育所定員率と母親の就業率の間に因果関係を見出すことはできない。

 

この論証は、子供の存在は働きたいお母さんの足枷にはならないし、保育所を整備しても母親の労働意欲を増進させる効果は期待できないことを示唆している。最近はシェアリングエコノミービジネスが普及しつつあり、就労のハードルは下がりつつある。ダイレクトマーケティングによって、無職の母親に対し、スキルや経験を生かせそうな仕事を直接オファーするなど、積極的な就労支援を行うことが必要だと思う。

 

    子供に恐ろしいと感じさせることで、正しい行動を取ることの必要性を学ばせる教育法がある。受講した若者の方が受講しなかった若者よりも、その後の人生で犯罪に関わる確率が高くなる。

 

本書では具体的な言及は無かったが、体罰が上記教育法の典型例だと思われる。理不尽な仕打ちによって乱暴に従わせようとすると、子供たちは懲罰を受けたくない一心で、善悪の判断を蔑ろにしたまま、行動を決めてしまう恐れがある。教育者の中には体罰を正当化する人が未だにいるようだが、自らの指導力不足を棚上げした暴論だと思う。

子供が知らない知識をわざわざ教えることの是非については、僕が子供だった数十年前から親達の間で議論されていたと記憶している。具体的には、性教育、同和教育、薬物乱用防止教育などだ。僕は小学校3年生の保健の授業で初めて性教育を受けた。「低年齢での妊娠は母体に大きな負担となります。大人になるまでセックスは絶対にやめましょう」と釘を刺されたが、セックスに対する好奇心や憧れが勝り、異性を強く意識し、女の子と積極的に遊ぶようになり、仲良くなった女の子に抱き着いたり、キスしようとしたりした。相手の女の子にその気があれば、初体験に発展し、妊娠させていた可能性はあったと思う。薬物乱用教育では、薬物中毒で身体がボロボロになった人達の写真を見せられ、恐怖心を煽られたが、絶頂を得ることが服用の動機であることも教えられたため、興味本位でアプローチしようとした不良少年もいたようだ。薬物を強く印象付ける教育を受けなければ、そこまで興味を持たなかったと思われる。同和教育はとりわけ逆効果だと思う。差別の歴史を教えることで、むしろ差別意識を醸成してしまわないだろうか。差別が存在することを知らなければ、差別するという発想にも至らないのではないだろうか。子供たちに、何を、どのように教えるのかについては、引き続き慎重な議論が必要だと思う。

 

    女性の取締役比率を無理矢理に上昇させると、企業価値が有意に低下する。日本政府は女性管理職比率を2020年までに30%以上とする目標を掲げているが、女性の管理職が自然と増加するような環境をつくることが重要だ。

 

女性管理職比率を無理なく30%以上とするためには、社会構造の大変革が必要だ。厳しい数値目標を押し付けるだけで、具体策の検討は民間任せにしているようでは、達成は程遠い。現状、女性を積極的に登用している企業に対してインセンティブを与える懐柔案が採られているらしく、将来は数値目標を義務化して違反企業に罰則を与える強硬案が採られる可能性もあるようだが、いずれも僕は反対だ。女性が能力を発揮して活躍できる環境を整備することが本来の目的であり、飴や鞭を使い分けて数値目標を達成することが目的ではない。

障碍者の法定雇用率も同様と考える。こちらは既に罰金刑が設けられており、半強制的に障碍者の雇用を促進している。障害保険福祉研究情報システムの報告によると、海外ではイギリスやフランスなどが、日本と同様に雇用率制度を重視しているが、法的な規制を強化するよりも、事業主の自主的な活動を奨励することに重きを置くように変わりつつあるそうだ。僕は事業主の自主性に頼るのは国家の傲慢だと思う。特に雇用率制度を採用している国々は、障碍者雇用を国策として推進すべく、事業主を強力に支援していく責務があると思う。

 

    偏差値が高い大学に行ったグループと、偏差値が低い大学に行ったグループとの間で、卒業後の賃金に統計的に有意な差はない。

 

これは帯のキャッチコピーにも取り上げられていた論証だが、成績や経歴がほぼ同じ学生を比較評価するという前提条件がある。向学心を抱いて受験勉強に励み、偏差値60の大学に進学した学生と、とりあえず大学は出ておこうと、定員割れした偏差値40の大学に進学した学生を、比較しているわけではない。僕の経験上、一流と呼ばれる有名大学を卒業している人達は、総じて優れた理解力や思考力を有していると感じる。

前提条件を知ることは、とても重要だ。前提条件の選び方によっては、結論が変わることも有り得るからだ。当言説では具体的な偏差値には言及していない。偏差値の差異が5程度だとすれば有意差は確認できないかもしれないが、20程度だとすれば有意差が見られるかもしれない。疑わしい言説を見掛けたら、原著を参照することが望ましい。信じるに足らない、あるいは信じたくないと感じたら、無理に信じなくてもいいと思う。ただ、異なる意見があることを受容する懐の深さは必要だ。



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